ゴンドラ/空葉




初めましての君へ


*作者自身がイタリアやゴンドラに縁遠い生活のため多少それらに関して捏造あり


「ファイ、次の方がいらっしゃったぞ」
彼は遠くにいたかつてのお客で会った女性たちにふっていた手を下ろす
そして、いつものように笑みを浮かべながらこちらを振り向いた

「Welcome to Italy!お客さんはどちらまでですか〜?」
笑顔で振りむいた彼は息をのむ
目の前にたたずむ男が、自らの商売道具でもあるゴンドラの塗装と同じ
いや、おそらくそれ以上に美しい黒の雰囲気をまとった者である事に

目の前の男は首をかしげてゴンドラ乗り場にいる主人に向かって何かを話しかける
主人は笑いながらうなずいてこちらを向くとファイに向かって口を開いた
「ファイ、お客さんは話せる言語が英語までらしい」
彼はイタリア語でそう言うと、英語に切り替えてファイを掌で指し示す
「彼も英語は、話せるのでご安心ください」
それを聞いて安心したのだろうか、
無愛想だった表情がわずかに緩むと、その荷物を抱えて彼はゴンドラに乗り込んできた

行き先をきかぬまま進めるわけにもいかず、ひとまず英語で問いかける
「えっと…お兄さん〜…?どちらまで行かれますか〜?」
僅かな沈黙が落ちる
目の前の男性は首をかしげる
どうやら通じなかったらしい
ファイはもう一度、同じ疑問を繰り返す
彼はコクリとうなずくと思案した表情を浮かべる。どうやら通じたらしい。
ほっとしたのもつかの間の事。

「…任せる」

返答は完結だった。ファイは困ったように腕を組みながら彼に再び問いかける
「観光目的なら、色々案内もできますけど、移動目的なら場所を言ってもらえると嬉しいんですが〜…」
ちらりと船頭にいたファイを見ると彼は再び呟くように答える
「さっきの場所に今から3時間後つければそれでいい、あとは好きに任せる」
彼はそういうなり、まっすぐと水面を凝視し始める
それ以上の解答は望めなさそうだと判断したファイは、その要望に合いそうなルートを組み立てながらオールを漕ぎ始めた。


ファイは、オールを漕ぎながら時々水面を見つめる彼の表情をその視界に入れる
何度目だっただろううか、不意に水面を見つめていた彼の視線とファイの視線がぶつかる

「…どうした」 後ろから短く疑問形の言葉がかけられる
ゴンドラに乗って初めて彼がファイに話しかけた瞬間だった

「綺麗な、黒ですね」
ファイはふわりとほほ笑む
何を言われていたのかわかっていないように、彼は目をぱちくりとさせる
その表情が予想外に幼く見えたファイは少しだけ楽しくなって、姿勢を僅かに彼の方に向けた形でオールを持ち直す

「お客さん、イタリアは初めてですか〜?」
そう問うと黒の雰囲気をまとった彼はうなずく
会話が成立している事を嬉しく思いながら、ファイは会話を続ける
「じゃあ、ゴンドラに乗るのも初めてだったりされます〜?」
「あぁ」
返答は相変わらず短い。
けれど、自分の言葉にちゃんと返事が返ってくるのが何故か妙にうれしく感じていたファイは笑みを浮かべる。

「どうですか〜?ゴンドラからのイタリアの景色は」
「…美しい、と言えばいいのか?」
「綺麗、とも言えますよ〜」
「…そうだな」
僅かに彼の纏う雰囲気が和らぐ。

「俺は、ファイと言います。お客さんしばらくイタリアに滞在されるんでしたらいつでもまた乗りに来てくださいね〜」
その言葉にわずかに眩しそうに眼を細めた彼が水面に揺れて映って見える

「お客さん…?」
その表情を不思議に思いファイは問いかける
「……黒鋼だ」
「え?」
「黒鋼、という。」
彼は、そうまっすぐに水面に映っていたファイを見つめるようにして言った
「黒、鋼…」
ぽつりと名前を繰り返したファイ。
「ファイ、といったな」
「え?あ、はい」
「お前は……」
何かを言いかけた黒鋼はやがて、軽く首を振ると再び黙ってしまった
不思議に思いながらもファイはあえて何も問うことはしなかった

ファイは気を取り直して笑みを浮かべると、口を開いた
「じゃあ、せっかく時間もあるんで観光案内もしちゃおうかなぁ〜」
その言葉に黒鋼はうなずく
「あまりしっかりと知らない、頼む」
一言だけ呟くと彼はゆっくりと辺りを見渡しているようだった
それからの時間はひどく穏やかで、二人の間には優しい空気が自然と流れていた


「そろそろ戻る時間かなぁ〜…?」
穏やかで、そして優しい時間は流れるのが早いと、かつての客の青年が言っていた覚えがある
その時は、こんなにも穏やかな気分になることがあるとは思っていなかった為いつものように笑って流していた
けれど、実際体験してみて彼の言っていたことがよくわかる。ファイはそう思っていた
なぜだかわからない。けれど、ただの観光案内をしていたはずなのにたくさんの話をした気がする
「黒様」
そう案内中に名づけたあだ名を呼ぶと彼は顔をしかめる
「その呼び方はやめろと言っただろうが」
「だって呼びやすいし〜」
彼は後ろで呆れたようにため息をつく
「なんだ」
けれど、彼は決してファイの言葉を聞かずに否定はしない
この1時間と少しでファイが知った彼の一面だ
「黒様って、しばらくイタリアにいるの〜?」
「いや、仕事できただけだ。明日に帰る予定だ」
問いに返ってきた答えはさらりとしたものだった
「そっかー、じゃあこれで黒様と仲良くなってももう会えないんだ〜…」
そう少しだけ茶化しながら口にすると水面に映っていた黒鋼の表情が少しだけ困ったものに変わる

「あ〜さみしいなぁ〜…な〜んて」ファイはくすくすと笑うと黒鋼に向かって「冗談だよ」そう笑って見せた
「おい」
黒鋼が口を開く
けれどそれよりも先に、ファイは彼の表情から視線をそらして微笑む
「黒様、イタリアどうだった?」
不意を突かれたのだろうか、後ろでわずかに息をのむ音が聞こえた気がした
「……お前のおかげで楽しいものだった」
その言葉にクスリと笑みをこぼすとファイは時計を見ながらオールを漕ぐ手を止める
「その言葉だけで十分だよ。ありがとう、黒様」
本当は胸に芽生えたこの気持ちがなんなのかを知るまでもう少し、君と一緒にいたいと願ってしまうけれど
けれど、それは俺の勝手なわがままだと知っているから
君は、俺とよく似た人の事を心底愛しているみたいだから
だから、俺が君にかける言葉はこれで、正しい
ファイは微笑む
不意に黒鋼がその腕を持ち上げて、ファイの方に手を伸ばす
そしてファイの腕をつかむとそのまま引き寄せた

「…っ!!???」
必死に踏ん張っていたわけでもないファイはあっさりと黒鋼の腕の中にとらえられる
ゴンドラが揺れる

「…変わらないんだな、お前は」
「な、何…?」
耳元でぽつりとささやかれたその言葉にファイは身を固くしながらも聞き返す
後ろから抱きしめられる方になっているファイに今の黒鋼の表情は見えない
そして、今のファイの表情も、彼には見えていなはずだ

「またそーやって、てめぇは自分を押し殺す。」
彼の声は耳元で聞こえ続ける
「いい加減てめぇは甘えることを覚えろよ、頼むから…」

”もう消えないでくれ”

聞こえるはずの言葉の続きがファイの耳に届いた気がしたその瞬間
ファイのほほを透明なしずくつたう
「な、んで」

黒鋼が後ろでわずかに苦笑する気配がした
ファイは掌で自分の瞳をこする。けれど、止まらない
どうして泣いているのか自分でもわからないのに、その涙は止まることを忘れたかのように次々と溢れ出してくる
「ごめんな」
黒鋼は、そっと腕に閉じ込めていたファイを離した。
くるりと振り返った先で黒鋼は辛そうな表情を浮かべていた
ファイの頭の中が混乱する
「黒、さ、ま…?」
見覚えのない景色が頭の中にあふれる、同時に目の前の人がその景色の中にあたりまえのようにいて、その隣にいるのは、…俺によく似た人…?
笑っていて、怒っていて、けれど、そこでプツリと思考が途切れたみたいにそこから先が何もわからずに
「黒、様っ…」
ただ、ひたすらに訳の分からない気持ちが自身の中を駆け巡る、激しい誰かの激情に駆られたように彼は混乱していく

「もう、忘れていい。大丈夫だ。”お前”は”現在”を生きろ。」
混乱する頭の中とは別に聴覚が彼の声を拾う
その瞬間、あらぶっていた感情が沈静化されていく気がした
彼の掌が、ファイの柔らかい金髪を梳くように撫でる
ファイは黒鋼の事を見上げる
黒鋼はファイから視線をそらすと、自嘲気味に呟いた
「…泣かせたなんて知られたらまたあいつに怒られちまうな」
”けど”
不意にこちらを向いた黒鋼は彼の前髪をさらりと流しその額に口づけた

「やっと、見つけた」
そして、出会って、初めて彼は笑って見せた

「ファイ、またな」

「……え……?」
そういうなり、わずかに通りに近づいていたのを良い事に黒鋼はゴンドラから通りへと軽く跳んで
そのまま雑踏に紛れて姿を消してしまった
ぽつりと残されたファイは涙の乾ききらぬまま何度か瞬きをして、彼の消えた道を眺める
「………え…?」
先ほどまで黒鋼のいた場所にお金らしきものと、何か薄っぺらいものが見えた
ファイはぼんやりとしたままそれに手を伸ばす
「何、これ…」
黄色い花が押し花になっている。
見覚えのない花に彼は首をかしげる
そして我に返った彼は紙幣を回収すると、ひとまず栞を自身の胸ポケットにしまい、立ち上がる

彼はオールを持つと再びゴンドラを漕ぎ始めた
そのわずかに上気した頬を隠すように風を顔で受けながらも

元の位置に戻ると黒鋼を紹介した主人に紙幣を渡す
「途中で降りちゃったんで、ここまで戻る予定だったみたいなんですけど〜なんか急ぎの用事でも思い出したみたいで」
そういうと、主人は困った様な表情を浮かべてしばし思案したのち、ファイに耳を寄せるように促す
疑問に思いながらも彼は主人に自信の耳を近寄せる

「彼ね、本当はそんなに時間のある人じゃないんだよ。君を探しに来たみたいで噂を頼りにここまで来たらしいからひとまず君が来るまでずっと待ってたんだ。君と知り合いなのかと尋ねたら、無表情のまま”大切にしたいと初めて思った奴だったんだ”そういったきり黙ってしまったから詳しくは分からないんだけどね…」
主人は「内緒にしておけ」って言われたんだけど、君に伝えておいた方がいいかな…と思って。 そういうとファイを見て言う

「彼ね、今日の最終便でここをたつんだよ」
「…え…っ…?だって今日明日…って」
主人は困ったように苦笑すると、ファイの背中を押す

「君も何か伝えたいことを言えないまま終わってしまったって顔してるよ。行っておいで」
そういわれて彼はわずか数時間の事を思い出す
彼はまだ、黒鋼に聞いて異なことがたくさんあった。まださっきの”キス”の意味だって知らない
そう思った瞬間、彼は走りだしていた


黒鋼は空港のロビーで一人、ぼんやりと搭乗開始のアナウンスを聞いていた
「ね、君はどこの国の人なの??」「日本だ」
「日本???」「そうだ」
会話を思い出して何とも言えない気分になった
”ありがとう”そういった彼の表情を彼はよく知っていた

「てめぇの事どんだけ探してたと思ってんだよ…」

「…黒・・・様っ…!!!」
呟きと同時にどこかから彼の声が聞こえた気がした
黒鋼は思わず苦笑いを浮かべる
「俺もいい加減”現実”を見なくちゃな…」 

「く、…ろ・・・さ、…まっ!!!」 消えない幻聴だ、そう思いながら頭を振る

「黒鋼っ…!!!!!」
少し離れたところで、ちらりと視界に彼の淡い金髪が入る
人の波に流されそうになりながらも、彼はそのままこちらに向かってくる
驚きで固まってしまっていた黒鋼のもとにたどり着いたファイは、呼吸を乱しながらも黒鋼に向かって口を開く
「俺は、っ…ま、だっ…っはぁー…何にも聞いてないだ、ろっ…!!!」
そういうと、黒鋼の胸ぐらをつかみその頬にファイは口づけた

「…!!!」
目を見開いた黒鋼から離れると、ファイは再び口を開く

「俺が、行くから…」
「…は?」
「俺が、今度は黒様を探しに行くから、日本で待ってて」
そういって、ふわりと笑みを浮かべると
「俺はまだいろいろ黒様に聞きたいことがあるから、だから待ってて。」

その時搭乗時刻があとわずかなことを告げるアナウンスが流れる
二人は我に返る
ファイは意地悪に笑うと黒鋼の背中を押す
「早く、行かないと帰れないんでしょう?」
そう笑ったファイを見て、黒鋼はふっ…と笑みをこぼす
「黒様?」
「…先に帰ってる」
そういうと、ファイの頭を軽くなでて、黒鋼は搭乗ゲートへと向かっていった
黒鋼を乗せた飛行機が空港を飛び立つのを見ながらファイは胸ポケットに入っていた栞に気づく
「あ…渡すの忘れてた…」
その栞を見てクスリと笑みをこぼすと、ファイは飛び立った飛行機に背を向け、船着き場への帰り道をたどるのであった


【ビデンス:キク科
 花言葉:もう一度君を愛す】

彼の持つ栞の残した意味を知るのは、また別のお話


 -Fin-



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あとがき

とおかちゃんからいただいたゴンドラのお題でしたが、途中からゴンドラ関係なくなってますほんとごめんなさい(土下座
これおそらく文章にするよりは絵の方がいいんだろうなぁ…って思ったんですが
空葉の画力が人の目を殺すので相も変わらずよくわからない文章でお送りさせていただきました
素適な企画に誘ってくれた紅ちゃんたちには感謝感謝です!!
そしてちゃんとお題消化しきれてねーよとお叱りの声が飛ぶようでしたらantherで書いたもう1つのゴンドラのりネタを加筆修正してこっそりとおかちゃんにプレゼントするので許してください(土下座

話の途中で黒様がよく自嘲気味なつぶやきを漏らしていますがこれはすべて黒様の前世の記憶による物です
無茶ばかりするファイを失ってしまった事で未練が残った黒様は生まれ変わってもなおファイのことを覚えていて、その結果ずっと彼を探していたという設定だったりしました。
優しい時間が過ぎるのが早いと言っていったお客さんはツバサ好きの方ならわかると思いますが、某主人公カップルだったりします
彼らは先に黒鋼と出会い、その後ファイとイタリアで出会っているのでその次第を黒鋼に伝えてもらえるように知世姫に頼んだとか頼んでないとか
ファイは作中前世の記憶があるかのような表記がありますが
ファイの中には前世の記憶は眠っている状況で、黒鋼に会うまではさっぱり出てこなくなってました。
ややこしいんですがゴンドラのりであるファイは、前世の思い出がかすかにあるけれど、詳しくはないとでも思っておいてください
自分は楽しく書かせていただいたのですが正直読み返して文才のなさに土下座かましました
少しでも楽しんでもらえる方いたら嬉しいです

とおかちゃん、素敵なお題ありがとう!!
黒ファイったーさんみんな大好きです!!黒ファイの愛は永遠です!!