吸血鬼黒鋼と人間ファイ/蜜蜂あげは





「爪」

蜜蜂あげは




「あなたが『餌』になりなさい」

それは呪いのように告げられた。
逃れられない呪いのように。決して解けない魔法のように。
迷う間もなく頷いた。

隻眼の『吸血鬼』には、それしかできなかった。

――――セレス国。
あれだけ残酷な戦いがどこにあっただろう。自らの過去を暴かれ、親のように愛し、だからこそ逃げてきた王と戦い、仲間を傷つけ、なにもかも失ったように感じた。感じたことさえも、感じなかった。
そして、世界さえなくなった。
故郷と呼べるほどあの世界は優しくはなかったし、帰る場所など最初からなかったも同然だ。でも事実、あの世界は消えた。閉じた。ファイ自らを核として。あの世界と一緒に、消える、筈だった。

次に着いた世界。何処にいるのか、どんな状況なのか。そんなことを考えている余裕などどこにもなかった。ただ目の前で起きたことを理解できずに、大量の赤に視界が染まるのを理解したくなくて、ただただ叫んでいた。

なにを言ったのか分からない。覚えていない。ただただ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だと押し寄せる波に抗うことも忘れていた。

「す、けて、嫌だ、助けて、助けて…!!!!!」

助けて。なにも分からずに繰り返す。助けて。

「ゆ、う、こ……!!!お願い侑子…助けて…黒鋼を助けて…!!!侑子…侑子!!」

セレスで魔法を使ったことによりダメージを負ったモコナが、力を振り絞るように異世界の映像を映し出した。

そこに映る黒髪の魔女が告げた。

「あなたが『餌』になりなさい」

対価は。

「残りのあなたの魔力を寄越しなさい。黒鋼とあなたの血を入れ替えるわ。あなたの吸血鬼の血は原種の血が入っている。それを受ければ黒鋼は死なない。…ファイ、東京でのあなたの時と同じよ」

「…どういうことですか」

「黒鋼が吸血鬼になる。『餌』はあなた。黒鋼はあなたの血しか飲めない。それでも?」

頷いたのも覚えていない。何でも差し出すつもりだった。ただ、死なないで欲しいと。

「一刻を争うわ。小狼、モコナ、離れなさい」


閃光。

そこからなにも覚えていない。



◇◇◇



「…侑子」

黒モコナが微妙な表情で問いかけるように魔女の名を呼んだ。

「同じ強さの願いなら、先にあたしに届いた方を優先するコトにしてるの、それは変わらないわ」
「でも…」
「一刻を争ったの。あの子たちにわたしがしてあげられるのはこれだけ。東京で黒鋼があたしに願ったのは地下水槽をいっぱいにする水。ファイを吸血鬼にすることではないわ。それに、あたしは黒鋼を吸血鬼にしたのではない。あの二人を、『餌』と吸血鬼というその性質を、入れ替えただけよ」
「…黒鋼はもう、人間に戻れないのか?」
「いいえ。ファイの目が戻れば。元々の吸血鬼の血を打ち消せるから」
「よかった…」


「…本当にあたしは甘いわね」


魔女と呼ばれたその女は、らしくない表情で自嘲気味に微笑んだ。




◇◇◇




目が覚めた。

見えるのは天井。寒い。
身じろぐ。

「ファイ…!!」

モコナが涙声でぴょんと腕に抱きついて来た。

「ファイ…お目々が…」

魔力を失った片目は金色に変化していた。綺麗な金色だった。

「ファイ、怪我痛い?大丈夫?痛い?」
「大丈夫だよ」
「よかった…」

モコナが安堵した表情でファイに頬擦りをする。ここは…と周りを見回した時、隣のベッドに横たわる人影にすべてを思い出した。

「…っくろさ……!!!!」

咄嗟に起き上がろうとすると、全身を駆ける痛みに襲われ弾かれたように動きが止まる。

「ファイだめ!黒鋼は大丈夫だから!まだ起きたらだめだよ!」
「…っ」

大丈夫。その言葉に安堵して息をついた。

「…目が覚めたか」
「…小狼君……ここは…」
「セレスじゃない。雪は降ってる」
「ジェイド国に似てるよ。この世界の空汰と嵐が助けてくれたの。ここでもお家を下宿にしてるんだって」

倒れていたところを助けてくれたらしく、部屋も二つ用意してくれたという。阪神共和国の時と同じだ。
もう一度隣のベッドに目を向ける。なかなか見ることのなかった、黒鋼の寝顔。呼吸をしているのはわかるが、ずっとこのままだったら、目を開けなかったら、と嫌な考えばかりが脳裏を掠めて抉る。

「モコナ、魔女さんとお話できるかな」

それを振り切るようにモコナに向き直る。
モコナの額から発せられたぱあっという光とともに、黒髪の魔女が現れた。

「目が覚めたのね」
「…ありがとうございます」
「あたしは願いを叶えただけ。それに見合う対価は貰っているわ」
「黒…、…彼は……」

まだ、名前を呼ぶことができない。それが苦しかった。もうこんなこと、無意味だと。わかっているのに、苦しかった。

「…黒鋼は吸血鬼になったわ。もっとも、黒鋼の血はあなたの吸血鬼の血。あなたの左目が戻ればその血は打ち消せる。目が戻ってくる保証はないけれど、それまであなたは『餌』よ」
「…わかりました」
「…『餌』になることも、吸血鬼になることも、あなたたちにとっては辛いことかもしれないわ」
「…」
「あなたが吸血鬼になってからあなたと黒鋼が感じていたことを、今度は逆の立場で感じることになる。…覚悟は必要よ」

わかっている。

「…はい」 「侑子、侑子、本当にありがとう…!黒鋼を助けてくれて、ファイを助けてくれてありがとう…!」
「モコナ…」

そうだ。救われたのは彼ではない。自分のほうだ。
愛する人を失うことは、何よりも辛いことなのだから。


通信を終えたモコナは、黒鋼のほうに駆け寄り、はやく起きてね、黒鋼、と声をかけた。
その様子が心底羨ましいと思った。
自分も、素直に名前を呼んで、また昔のように渾名で呼んで、早く起きてね、と言えれば。言えたらいいのに。

「また様子を見に来る。無理はするな。…色々考えたいだろう。おれはモコナと向こうにいる。なにかあったら呼んでくれ」

小狼は枕元に温かい飲み物を置いて、モコナ、と呼んで部屋を出て行った。


「く、ろ…」

セレスでの出来事があまりにも大きすぎて、まだ気持ちの整理もなにもできていない。自分が自分の記憶だと思っていたのは弟の記憶で、自分は弟を犠牲にして谷から出たのではないとわかった。わかったところでどうしたらいいのだろう。不幸の双子と呼ばれた事 実は変わらない。アシュラ王が罪のない人を殺めていたのも事実。

…自分のせいで、仲間を傷つけたのも、黒鋼が左手を失ったのも、現実だ。

「…………黒………さ、ま…………………」

それでも。


それでも、君が好きだ。

「っ…起きて………起きて黒様…」

痛む身体を起こして、寄り添うように隣のベッドに駆け寄る。

「起きてよう……」

顔を埋めて呼んだ幾度目かの呼びかけに応えるように、頭に何かが置かれたことに気づいて顔を上げた。

「………!」

右手が、黒鋼の右手が、ファイの頭を撫でるように置かれていた。

「………俺を呼んだか」
「…」

答えられなかった。

「…生きてんだよな俺は」

精一杯頷いた。

「……………黒様………」

精一杯呼んだ。ずっと呼びたかった名前で、精一杯呼んだ。

「おう」

いつも通りの、いや、かつてのいつも通りだった返事に、ファイはまたシーツに顔を埋める。

「…夢で」
「夢…?」
「夢で、次元の魔女に会った」
「…」
「……俺は……」

俺は、吸血鬼とやら、なのか。

「…うん」
オレは、君の、『餌』だよ。

「そうか」
「…」
「…勝手なことしやがって」
「…お互い様だよ」

ファイは、横たわる大きな身体を抱きしめる。片腕の吸血鬼となった男も、その片腕でしっかり細い身体を引き寄せた。



この世界に来て数日が過ぎた。この国は特に争いなどなく、ジェイド国に似てはいるが平和で街はそれなりに賑わっている。黒鋼の傷は吸血鬼の血を受けたことにより塞がり、片腕を失いながらも致命傷にはならずに済んでいるようだ。黒鋼はまだ横になっていることもあるが、身体が鈍る、と言って起きだしてはモコナに叱られている。ゆっくり休めばいい、と空汰たちはしばらく部屋を貸してくれるという。
身体の傷は癒えても、消えない傷はたくさんある。
でもきっと、それさえ乗り越えられる筈だ。 
仲間と一緒なら。愛する人と一緒なら。
どんな困難でさえも、乗り越えてみせよう。
この残酷な運命でさえも、受け入れて進んでみせよう。

皆が寝静まった夜。ファイと黒鋼の部屋。

「…何か飲む?」
「…酒」
「……じゃなくて」
「……」
「……」
「…ああ」

黒鋼がゆっくりファイに近づく。

「俺は」

――――俺は、俺のために。

「俺が守りたい奴らのために、」
 
生きなきゃならねえ。

「そうだね」

ファイはまっすぐ紅い眼を見て微笑んだ。

「もちろん、」

お前の為にも、な。

そう言って黒鋼は右腕で細い体を引き寄せた。こんなにも細くて壊れそうな、愛する存在に身体に流れる血で、自分は生きなければならない。相手の命そのものを啜るような気分だ。ファイが血を飲みたがらなかったことも、少しは理解できたような気がした。

紅い眼光が金色に変わったのを、ファイは見なかった。
抱きしめられた体勢のまま、白い首筋に牙が立てられる。ぎゅっと、ファイは黒鋼の背にしがみつくように両の手を回した。
ぷつり、と皮膚が破られた感覚の直後、首筋から背中を通って全身に電流が走った。

「…っあ……!!」

叫びと言うより喘ぎに近い声でファイの口から吐息が漏れる。
黒鋼はまるで首筋に痕を付けるように赤い鮮血を啜った。

「…痛いか」
「…ち、がうの、痛いわけじゃなくて…っ」

黒鋼の舌が首筋を這うたびに、ファイの身体は甘く疼く。そういえば、彼に触れるのはいつ振りだろうか。東京以来、自分の「食事」以外で彼に触れることはなかったのだ。
こんなにも愛しくて、こんなにも、こんなにも触れて欲しかったというのに。
吸血鬼に血を吸われる者は快感を感じる、というのは聞いたことがあった。御伽噺の中の話だと思っていたが、まさに今現実に起こっていることで、抗うことのできない事実だった。

「…あ…っ、く、ろさまぁ…っ」
「どうした」

耳の横ですぐ彼の声がする。そのことも嬉しくて仕方がなくて、もっと触れたい、触れて欲しいとこみ上げるものが雫となって蒼から零れ落ちた。
身体が熱い。全身を駆け巡る電流は鼓動を五月蠅くした。
熱い。熱い。熱い。
いつの間にか大きな背中に爪を立てて、彼をひたすらに呼んでいた。

「あ、ついよ…黒様ぁ…っ」
「……気持ち良い、か?」

頷く。でも。

「足りないよ……っ」

足りない。彼が、黒鋼が足りない。もっと、もっと彼を感じたい。
ずっと、ずっと触れたかった。

「……して…」

お願い。

「…馬鹿野郎、怪我人だからってなめてんじゃねぇぞ」

 止められなくなる。

「それでも、良いから」

それでも、良いなら。
…触れたかったのは、お互い同じだった。

何故こんなにも、擦れ違っていたのか。

黒鋼は首筋の傷を舐めると、はじめて金色の眼でこちらを見た。
見たことのない表情に心臓が跳ねる。

今は、ファイの眼にも、黒鋼の眼にも、同じ色の光が混ざり合っている。

そのまま唇を重ねた。
互いを貪る獣のような口付け。そのままベッドに沈み込んだ。

「ずっとね、欲しかったんだ、黒様が」
「…俺もお前が欲しかった」

素直じゃないのは、どっちだ。

――――背中に爪を立てて。掠れた声をあげて。愛おしい名前を繰り返して。

二人分の体重を乗せた寝具は軋んで。
大きな背中に爪痕を残して。

泣き出したくなるほどの、幸せを感じて―――――。



end.




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◇◇◇
あとがき。

はじめましての方ははじめまして!
またお前か!な方はまたあげはですすみません!
黒ファイ界の厨二病代表(自称)、蜜蜂あげはです。

個人的に吸血鬼ネタ大好きなのでお題が来たとき「キタ――――!!」と思ったのですが設定が難しかったです…このSSではセレスの次が日本国じゃなかった設定で書いております。
そして吸血鬼ということで、厨二っぽくてもいいじゃないかと思い、珍しく厨二スイッチを切らずに書いてみました。改行厨になってしまったので読みにくくないか心配ですが厨二なのでしかたないです()
途中の侑子さんとモコナのシーンは最後まで削ろうか迷いましたが、侑子さんが自分の信条に反したわけじゃないんだよってことをどうしても書きたくて残してあります。
えりょはめっちゃ書きたかったのに力尽きました(わたしが)。
でもこの設定楽しいので続きがかけたらいいな、なんてぼんやり思っていたりいなかったり。

素敵な企画に参加させていただき、ありがとうございました…!!!
そしてご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした…!
広がれ黒ファイの輪!

ここまで読んでくださりありがとうございました!

黒ファイ愛してる!!!


蜜蜂あげは