警官パロ/まめしろう






――夏の桜 後編――


 男の後を追うため、ファイは覆面パトカーに乗り込んでいた。張り込みがばれにくいように、何種類か用意されているパトカーだが、偶然にも今日運転することになったのは、いつか黒鋼と張り込みに使った白のセダン。いつも運転席に乗るのは黒鋼なのに、自分がステアリングを握っているのが不思議な感じがして落ち着かない。
 大体把握した男の生活パターンから見ると、今日は買い物に出かける日のはずだった。黒いセダンはいつもなら右に曲がる道を左へと曲がり、街中から北に向かい郊外の方へでていく。
 気づかれている。ファイは確信した。だが、もう後戻りはできない。今日、男を自分の手で片付けなければ、黒鋼に先を越されて逮捕されてしまうだろう。もう、この身などどうなってもいいのだから、気づかれたところで何か差し障りがあるわけでもない。それに、犯人はなんらかの形でこちらの行動を把握しているようだった。まっとうな方法で逮捕に向かえば、黒鋼に危険が及ぶ可能性がある。現に、ファイの元にはあの手紙の他、黒鋼の張り込み中の無防備な様子の写真に、赤いマジックでバツ印がつけられたものが送りつけられていた。
 車は狭い住宅街を抜け、川辺に出たところで道路脇に幅寄せして止まった。ファイも少し距離を開けて車を止める。しばらくして、男が車から降りて川辺の小さな公園のようになっている場所へ姿を消した。
 車の中で小さく深呼吸をすると、ファイは車から降り、男の後を追う。あまり手入れされていない様子の生い茂る草木が、むっとする空気を放っていた。桜の樹が並木のように植わっている。やはり、夏の桜は大判の葉を茂らせているだけで、花がついている様子はない。赤いレンガのようなタイルが貼られた地面はところどころ欠け、陽に焼けて色褪せている。
「久しぶり、になるんだろうな、ファイ」
 背後から男の声がして、振り返った。
「何故オレの名前を知っている?」
 男は口の端をゆがめて笑った。
「ユゥイを手にかけたとき、最後にその名を呟いたからだ」
 ファイはぎり、と奥歯を噛み締めた。
「何故、ユゥイを殺した?」
「ある人に頼まれてな」
 男は煙草を取り出し火をつけた。草いきれに混じって鼻腔を刺激する煙草の香りに、ファイははっとして表情を変えた。
「この香りは……」
「……何か思い出したようだな。この場所にも何か感じないか?」
 走馬灯のように、ファイの脳裏に様々な映像が走り去る。ユゥイに手を引かれ向かった川辺の公園、煙草を吸う男の姿、茂みに隠れた自分達、茂みから引きずり出されたユゥイ……
「うぁぁぁぁ!」
 叫び声を上げ、その場にしゃがみこんだ。
 ユゥイの血が茂みの中にいた自分にまでしぶきとなって顔にかかり、視界が真っ赤に染まる。目が、痛い。走り去る男の足音が遠ざかっていく。小さな手が震え、足が動かない。必死に茂みから這い出して、本能的にユゥイの流れ出る血を両手で押さえるが、温かい血はどんどん吹き出して行く――
「不幸を呼ぶ双子……だったな、お前の弟を殺してから知ったことだが」
 男はファイを見下ろしながら呟いた。
「元々は金を積まれてやったことだが、弟が呟いたお前の名前のことが気になってな。家系のことなど色々調べさせてもらった。死んだと思っていたが……生きていたんだな」
 キン、と金属の音。とっさにファイは身を起こし、男と距離をとる。
「殺人現場の目撃者は犯人に殺される……ありふれたシナリオだが、理にかなっているとは思わないか?」
 手に小さくきらめくナイフを持ち、男はファイに対峙した。
 ナイフは新しいのだろう、瑞々しいほどの夏の光が刃先に反射し、ファイの青い瞳に突き刺さるように眩しい。一瞬目を閉じ、ファイは腰につけている銃に手をかけた。
 その時、モーター音がしたかと思うと、パトカーが数台、公園に横付けされた。黒鋼が険しい顔をして車から走り降りてくる。数名の警官は黒鋼の指示により車内に残された。
「黒様……!」
「勝手な行動はするなと言わなかったか? 言うことをきかねぇ奴だ」
「ごめんね……オレ……」
 ファイはゆっくりと銃を取り出すと、男に向かって構えの姿勢を取る。かちり、と安全装置をはずす音がした。
「ち……結局王子様の登場か、ファイに単独行動をさせるため、脅しをかけていたつもりなんだが……」
 男は動じることなく、短くなっていた煙草を口に運び、フィルターぎりぎりで一吸いすると地面に落とした。
「こっちは飛び道具、そっちは小さなナイフ……どうみてもこちらが優勢なんだが、えらく余裕だな」
 男の胸に狙いを定めてファイは言う。
「知らないのか? ナイフは飛び道具にも出来ることを!」
 言うが早いか、男は鋭い凶器をファイに向かって投げつけた。
「ファイ!」
 黒鋼が、咄嗟に男に背を向ける形でファイを庇い、抱きかかえて地面に倒れこんだ。男の投げたナイフが地面に落ちる。
「黒……!」
 倒れこんだ衝撃と同時に、何かがはじけるような、乾いた音が鳴り響く。硝煙の匂いが周囲に立ち込めた。
「ぐ……っ」
 黒鋼のうめき声を聞き、自分の手にある拳銃が今しがた起こした衝撃の、強い余韻をファイは感じていた。頭が、真っ白になる。
 「大丈夫か?」
 倒れこむときにファイが頭を打たないように、黒鋼の大きな右手はしっかりとパートナーの後頭部を支えていた。手にファイの頭を乗せたまま胸の方へ引き寄せ、身を起こす。
 大丈夫かと聞きたいのはこちらの方だとファイは思う。必死に上下に首を振り、「オレよりも、黒様は?」と切羽詰った声で問い、黒鋼の体を確認する。倒れこむときに、黒鋼は自分の左手で、拳銃を持ったファイの手首をおさえて体の外側に流していたようだ。弾は、当たっていなかった。
「俺は、大丈夫だ。それよりも」
 はいつくばった姿勢のまま、ジャケットの内側から拳銃を掴み、振りかぶって男をめがけて発砲した。逃げようと背を向けていた男は、足元を撃たれて地面に倒れこむ。黒鋼はゆっくりと立ち上がると、男の側に歩み寄り、傷口を確認した。
「急所ははずしたつもりだが……」
 ネクタイをはずすと患部を止血し、ジャケットのポケットから手錠と逮捕状を取り出した。
「おい」
 男の腕を後ろ手に回して拘束すると、ファイに向かって呼びかけた。
「お前の仕事だ」
 ファイは震える手で手錠を受け取り、黒鋼が片手で広げた逮捕状を読み上げた。

 黒鋼の的確な指示で、流れるように事は運んでいった。男は適切な救急処置がなされ、他の警官達の手によって連行された。
 地面にへたりこんだファイに近づくと、ふと我に返り、すがりついてきた。
「黒様……! ナイフ、ナイフは当たってないの……?」
 投げられたナイフは、確かに黒鋼に当たったはずだ。
「奴が投げたナイフは当たってない、いや、正確に言えば当たったが刺さっていない。あんなもん、普通刺さらんもんだ」
「よかった……あいつ、自信ありげだったから、何か仕掛けてでもあるのかと……」
 黒鋼はふっと息を吐き、「俺様にはったりかまそうったってそうはいかねぇよ」といって笑う。
「オレ……事件当時の記憶があいまいで……あいつの煙草の香りをかいだ途端、当時の記憶がフラッシュバックして……我を忘れてしまった……場所も、まさかここだったなんて……」
「とにかく、よくやったよ、お前は」
 黒鋼はそう言うと、ファイの腕を引いて立たせた。
「一緒に来い 見せたいものがある」
 一台残させた車に乗り込んだ。
 
 運転席に黒鋼、助手席にファイ。やっぱり、これが一番しっくりくる。お互いに、そう考えていた。
「黒様……どうしてオレを疑わなかったの……? 再捜査に時間がかかると思ったのに……」
「お前の言うことなんて、はなから信用してねぇからな」
 ゴツッと鈍い音がしたと思うと、大きな拳がファイの頭に振り下ろされていた。もちろん加減はされている。黒鋼はにやりと笑うと、前を見てステアリングを握った。
「ありがとう……黒鋼」
 その呼びかけに、はっとしてファイを見る。その反応に気をよくして、ファイは片目をつむってみせた。
「そういえば……黒様もさっきオレの名」
「行くぞ」
 皆まで言わせず、アクセルを踏み込んだ。

 車はレインボーブリッジを抜け、東京湾アクアラインへと進んでいく。ファイが助手席の窓を開けると、爽やかな潮風が車内に吹き込んできた。陽の光が波に反射して眩しい。海を思わせる瞳を細め、強い風に煽られて巻き上がる髪を片手で押さえた。
「潮風が気持ちいいー……なんだかデートみたいだねっ黒りん」
 笑顔を見せて運転席を見るファイに、普段は無表情な男が目の下を少し赤くしている。車窓から見える海の青、潮風に巻き上がる金の髪、そしてこちらへ向けられた笑顔の対比があまりにも美しく、一瞬ハンドルをとられそうになった自分に恥ずかしくなったのだ。
「あれー……どうしたの黒るん?」
 黙ってハンドルを握り続ける黒鋼に、無邪気な笑顔で問いかけた。
「うるせぇな……気が散るから大人しく座ってろ」
「へんな黒ぴっぴー」
「だぁ! 前から思ってたんだがその変な呼び方いい加減やめろ」
「なんでー?だって楽しいからー 色んなバリエーションがあって面白いし」
「こっちは全然面白くねぇんだよ」
 くつくつと華奢な肩を揺らして、楽しそうな笑顔を見、こんな顔を見るのはずいぶん久しぶりなことに気づく。車は海ほたるを抜けて、千葉県内へと入っていった。国道を抜け、畑が広がる道を抜けると、大きなゲートが見えてきた。
「な……なになに黒様、ここ、テーマパーク?」
「……もうすぐだ、静かにしてろ」
 ナビを見ながら車を進め、「ん? ここは……このまま進めるのか」となにやらぶつぶつと呟いている。ゲートの入り口には料金所があり、敷地面積二十七万坪を誇る広大な園内は車で移動できるようになっている。黒鋼は料金所で大人二人分の入園料を支払い、速度を落として車を進めた。
 園内は、フラワーガーデンや池、子供動物園など自然と触れ合えるテーマパークとなっている。中心へと進むと、目的地が見えてきた。
「黒様……これって……」
「お前の見たかったのは、これじゃないのか」
 あたり一面に広がる、ピンク、白、紫の絨毯は、今が旬と咲き誇る芝桜。駐車場に車を止め、黒鋼はおもむろに口を開く。
「夏に咲く桜……芝桜のことだろう」
「どうしてそれを……」
「お前の弟がどうして川にいたのかをずっと考えていた。当時の遺留品を調べていたら、この本が出てきた」
 取り出したのは、まさにファイ達が、幼い頃に擦り切れるほど読んでいた本。ページをめくると、四葉のクローバーの押し花が挟んであるページに目が留まる。
「懐かしい……これ……」
 クローバーは当時、ユゥイだけが時折少しの間だけ外出を許され、その時に見つけたとファイにくれたものだった。童話タッチで季節の花や自然について描写されている本の一説に、夏に咲く桜の美しさが表現されている。
「オレ……桜にも憧れがあったから……夏の桜ってすごく神秘的に思えてね。桜は家の窓から外を眺めるだけでも見れたけど、夏の桜ってどんなものかわからなかったし」
「幼心に、桜なら川辺に行けば見れると思ったんだろう。ほら、降りるぞ」
 夏に咲く桜の絨毯は広大な丘に広がり、太陽の光で鮮やかさを増している。シルクのような、それでいて蘭のように肉厚な花びらは、それ自体が光りを放ちそうに輝いていた。
「黒様、すごいよ! 綺麗……!」
 両手を広げて、芝桜の海へと駆けていく。
 白、濃いピンク、薄紫のパッチワークのような丘はふかふかと柔らかそうで、そのまま寝転がってしまいたくなるほどだった。
「すごいすごい!こっちは紫とピンクが混じってる……かわいい色ー」
 なんだかおとぎ話の世界に迷い込んだみたいだね、と笑顔を見せる金髪の青年を見ていると、自然と自分の口元にも笑みが浮かんでいるのに気づいて、黒鋼は小さく咳払いをした。
 ふと、ファイの表情が翳り、黙り込む。
「……どうした?」
「いいの? 黒様……オレ、あいつを……」
 自分の手で殺して、自分もこの世から消えるつもりだった。だが、黒鋼があの場所に現れたとき、固めたはずの決心が揺らいだのは――
「お前にそんなことはさせたくなかった。その腕をちゃんと仕事を全うすることに使え。そして、これからもずっと俺のパートナーでいろ」
 これは上司からの業務命令だと言い放ち、黒鋼はそっぽを向いた。
 ファイは笑って黒鋼の大きな背中を眺め、自分の胸に芽生えている物を、もう少し見てみたいと考える。
「はい、黒たん警部。上司の命令は絶対ですから」
 目を細めて、自分の背中を黒鋼の背中へくっつけた。
「おい」
「なに?」
 少し間を置いて、黒鋼は問いかけた。
「これ以上お前を疑いたくないから……一つだけ聞かせてくれ。お前の弟に苗字はないのに、何故お前はフローライトという苗字を持っている?」
「オレを拾ってくれた人がつけてくれた」
「……そうか」
 合わせた背中に感じる黒鋼の大きな背中の頼もしさ。『あの人』に変わる存在に、彼はなってくれるだろうか。
「ね 上の丘に登ってみよう」
 本当は、いつまでもこうしていたかった。伝わる背中のぬくもりを名残惜しく感じながら、返事を待たずに丘へ駆け出した。
「……そろそろ、目がちかちかしてきたぞ」
 ひとりごちながらファイの後をしぶしぶ追いかける。美しいものに慣れていない黒鋼にとっては、ピンクや白、藤色といったメルヘンチックな色合いの芝桜の海に、見渡す限り包まれるのはどこか落ち着かない。
「黒さまー!」
 今日は快晴。澄み切ってどこまでも広がる青空に金髪をふわりと揺らしながら、白いスーツ姿のファイが濃い桃色の小高い丘から手を振っている。きらきらと輝くものが眩しいのはファイの笑顔なのか太陽なのか。わからなくなりながら黒鋼は目を細めた。
「もう少しだけ付き合うか」
 小さくため息をついて、日の光を目指して駆け出した。



――了

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このたびは企画に参加させていただきありがとうございました!
完結するのか不安な書き出しでしたが、なんとか一区切りつけることができました。
作中にファイの弟ユゥイが出てきますが、ファイがユゥイでユゥイがファイで……だとややこしくなるので、あえてファイはファイ、ユゥイはユゥイとして表現しています。
それにしても、刑事物は難しかった……!サスペンスなどを読みなれている方には申し訳ないクオリティだと思いますが、あくまでも黒ファイ小説として楽しんでいただけると幸いです。
あと、黒鋼がファイを連れて行った場所は東京ドイツ村。実際の芝桜のシーズンは作中設定とは少しずれていますので補足しておきます。
楽しい企画をしてくれた紅理ちゃん、素敵なサイトを作ってくださったたくみサンに感謝!
どうもありがとうございました。